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なかにし きみひと
中西 公仁
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生年月日 昭和31年6月10日
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■略歴
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昭和47年
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倉敷市立郷内中学校卒業
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昭和50年
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岡山県立倉敷商業高等学校卒業
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昭和54年
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大阪商業大学経済学部卒業
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昭和55年
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児島第一農業協同組合就職
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昭和61年
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倉敷市役所就職
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■現在
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倉敷市議会議員(1期)
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児島のイメージは、若者にとってはジーンズ=繊維の街で、中高年にとっては競艇=繊維の街、そして高齢者にとっては、軍服・学生服=繊維の街といったイメージがあると思います。
その昔は、塩田が広がり大正橋のすぐ向こうから海だった児島が、時代の変遷をへて顔を変えて来ましたが基本は何も変わらず繊維の街として生きて来ていると思います。
気候風土も良くとても住みやすいこの児島は、多くの児島地区の皆さんが普通に穏やかに生活をすることができる街であるとも思っています。
又、児島については若者の息吹が感じられない街であると実感しています。
それにはそれなりの理由が存在すると思いますが、まず若者が集えてファッションなど自分を主張できる場が無いのは致命傷だと思います。
児島は繊維の街ですが、第一次繊維産業の色合いが大変濃いイメージで縫製産業が主体で様々なファッションを発信して行けるようにならなければいけないと思います。
児島地区住民の高齢化は益々進むであろうと考えられます。土地に関しては、高台や交通アクセスや道幅の狭い地区に住まわれておられる方が多いのが現状です。
こうした方々の安心・安全は何かを確実に把握して行かなければいけないと思います。
鷲羽山・王子が岳・野崎邸など観光資源は有りますが、児島地区の我々が愛してやまないだけではいけないと思います。
この観光資源とそれを取り巻く産業をうまく合体させて、児島地区全体でPRをしていく必要があると思います。
児島地区は高台を住宅地に開発していますが、岡山や高松のベットタウンとしての都市能力を高める必要もあると思います。
児島が発展・充実するためには、まず交通アクセスの充実を求めるべきだと思います。
倉敷〜児島の短絡道は一応開通していますが粒江〜曽原間は4車線道路になっていません。又、唐琴・田の口地区から岡山方面については、旧態前の道路のままです。
新しい繊維の街として生き残ることを大前提に考えて最先端の繊維産業部分を児島に誘致して行くべきだと考えます。
又、JRの交通網を最大限利用して若者の集える場所を作ることだと思います。
文化センターの建設が話題になりましたがこの文化センターの活用策に若者文化にマッチしたものを多く取り入れ、西は福山市、東は備前市、北は津山、南は高松・琴平を若者文化圏として、音楽やファッションの発信地にしていくべきだと思います。
観光についても、釜島から定期的に花火を打ち上げそれを鷲羽山周辺から見物させるような大胆な観光施策も必要だと思います。
変革を求めると言うことは、閉塞感が多分にあるということだと思います。
まず、観光についてですが風光明媚な鷲羽山周辺この近くに四軒の大型宿泊ホテルがあり夕日が沈む美しさを売りにしています。
しかし、曇りや雨の日には夕日は見えません。日本全国夕日の奇麗な所は何処にでもあります。巷言われるのは、100箇所もあるのです、よそとは違うサービスを児島のホテルが官民共同で行ってはどうでしょう。
それは、夕日が見えなければぜひ見てほしいとの気持ちを込めて「もう一度おいでください券」などのサービスをやってみる必要があると思います。
児島地区の一体感を出すために、児島地区の市民祭りを今の「瀬戸大橋まつり」の名の下に行うのではなく広く団体に呼びかけて各地区の特色が醸し出される催しを行うべきだと思います。
競技人口が大変多くなっているニュースポーツの公式競技ができるグラウンドゴルフ場を中山運動公園内の廃止されたプール跡地に整備し、観光とスポーツが同時に楽しめる街にしてゆくべきだと思います。
又、温暖な気候をアピールして中山球場での大学野球キャンプを誘致するべきとも思います。
平成16年の台風16号での被害の復旧は、ある程度安心できるものになってきてはいますが、倉敷市の最新防災マップを見ると安心はできません。
東南海地震が起きることを想定しての一人暮らし高齢者の方々等々の安全をどう守るかの施策を行政と市民との協働で打ち立てて行かなければならないと思います。
児島市民病院については、市民生活の安心・安全を考える上でも一日も早く、最新の医療設備の整った総合病院にするべきと考えます。
医師の充実についてのネックの一つである給与体系についても抜本的に改革すべきと思います。
昭和42年の倉敷・玉島・児島の合併の時より早40年が立ちました。当時小学生だった私は、プールが有り校舎が鉄筋コンクリートに変わって行く時代を中学生まで過ごしました。
倉敷市は水島があるから凄いんだと思って疑いませんでした。
しかし、今現在の児島を見てみると児島の存在は何処にあるのかと説いたくなります。
旧倉敷は天領、児島は天城を含めて備前藩、玉島は備中松山藩で有り各地域の歴史的文化の根付き方が違います。
まずは、児島生まれの児島育ちの我々が児島の明日を考えて行動を起こすべきと思います。
繊維産業にしても倉敷の名の元に発信するのではなく児島から全世界に発信する、そして児島を世界ブランドにする、そんな思いを強くするのは私だけでしょうか。